TASSHI「まずは、今回は対談の話をお引き受けいただき、ありがとうございます」
さかい「いえいえ。っていうか、なんで俺を選んでくれたのかなって? 高知繋がり?」
TASSHI「もちろん同じ高知出身なのもあるけれども、最初は去年(2014年)の1月かな?」
さかい「そう。最初の出会いがアルバム『Coming Up Roses』の発売日だったから」
TASSHI「昔お世話になった方がゆうくんのライヴに誘ってくれて。その時はね、お名前を存じ上げる程度だったんですけど、一発で魅了されて。声とピアノと楽曲の良さ、すべてが素晴らしいな〜って感激しつつ楽屋へ挨拶しに行ったら、お互い高知出身だと知って。"あ、どうも"みたいな」
さかい「あの、出会う人、出会う人、ほとんど年下なんですよ、僕が一番おっさんで。でまたAqua Timezはみんなすごくお若いからさ。あの時は、若いバンドがデビューしたんだぁみたいな」
TASSHI「あ、確かに同世代って知ってから言葉使いが変わったかも?! だってあの日も、"高知はどこ?"って聞かれて、高知市って答えたら、"土佐弁か。俺は幡多弁だから違うわ"ってバッサリいかれたし(横目)」
TASSHI「すごいミュージシャンというのはやっぱ癖があるんだって思ったよね。ハハハハ。とにかく、すぐにアルバムを聴かせてもらって。さらに『LOVE SESSION』という夢のアーティストが共演した映画があるんですけども。"DVD発売されないから是非映画館で観て"ってメールをくれたから、なんとか最終日に滑り込めたんですよ」
さかい「ありがたい。ただ大抵のドキュメンタリーって自分がカッコいい感じに編集するじゃないですか。でもあれは監督の意図で、普段あんまり表に出さない姿も映されてるから、ホントは嫌なんだよね。例えば、(吉田)美奈子さんに怒られてるところとか。"なんで間違うの?"って、4回やって4回とも同じところで間違うという(苦笑)。僕、譜面を見ながら弾けないから、一度覚えちゃったらそのままつい……」
TASSHI「けど監督の意図もわかるというか。それでいて歌声を響かせた瞬間、すべてを一気にひっくり返せるんだもん」
さかい「今ふと思ったんだけど、東京へは大学で出て来たの?」
TASSHI「そう。そこで今のメンバーと知り合って。いや、それを言ったらこの人の経歴ですよ。上京して、音楽の専門学校に入って、1、2年でもう海外でしょ?」
さかい「バカだからできるんですよ。専門学校の推薦で、お金払わなくていいからってことでアメリカに行かせてもらって」
TASSHI「ピアノはそのアメリカで弾き始めたってホント? 日本ではまったく?」
さかい「うん。だから向こうでストリートライヴをやろうにも、最初はピアノのレパートリーが4曲しかなくて、それを1日10回まわしくらいしてたよね。で、"また「上を向いて歩こう」かよ"って周りに笑われるという。そこからまぁちょっとずつ増やしていって、30〜40曲くらいコピーすると、音楽の構造がわかってくるじゃないですか」
さかい「そうそう。耳コピしかできないから、こっちでこういうコードを弾いてても、下で違うベースの音が鳴っていたら違うコードだし、みたいに覚えていって」
TASSHI「じゃあコード理論も音の響きと感覚で全部覚えていったの? あんだけテンションとか入ってるのに?」
さかい「あれはテンションあるふうに聴こえてるから、そうやって弾いてるってだけで。そのラインで勝手に歌っちゃうから、僕のはカラオケで人気のない曲ばっかりなの。いや、カラオケで人気のない、いい曲ねっ(笑)」
TASSHI「なるほど(ニッコリ)。僕はドラムしかできないんで、でもこれからは曲も作っていきたいし、ちゃんとコードを覚えようって絶賛勉強中なんですよ。そしたらやっぱり弾けないとダメだなぁと痛感し始めて、今はピアノをやろうか悩んでいて」
さかい「最近、やっぱギターなのかなって思ってて。マッキー(槇原敬之)さんくらい飛び抜けた才能があれば、ピアノでもシンプルな曲が書けるけど、僕みたいに何にも考えずに作ってる人間は、カラオケで歌えないいい曲になっちゃうから(含笑)。ギターだったら、ジャーンって鳴らした時に、メジャーセブンスを選ばないと思う。もっと強い音に行くから、必然的にキャッチーになるでしょ?」
さかい「だから国際フォーラムのライヴを観させていただいた時にもね」
TASSHI「そう。前回のツアーのファイナルを観に来てくれて」
さかい「やっぱり曲がキャッチーだなぁと思って。こっちが待ってなくても向こうから来てくれるメロディというか。でも僕の曲は……自分の曲が世界で一番好きっすけど……自ら飛んでいかないメロディもたくさんあるのかなと。耳を傾けて聴いてくれたら、面白いことやってんなー!なんだけど。すごくいい曲を書くロックバンドって、ボーっとしてても音が飛び込んで来て、いつの間にか口ずさんじゃってる。そういうのってもともと持ってるセンスなんだろうけど、歌詞も含めてね」
TASSHI「フフフ。ウチの太志くんはいい曲を書くんですよぉ。でも"薔薇とローズ"なんて、それこそ飛びまくってるじゃん」
さかい「リリー(フランキー)さんに言われたの。カラオケであれを歌う人はけっこういるけど、成功したのを見たことがないって(笑)」
TASSHI「(笑)。太志も同じこと言ってたよね。彼はもともとヒップホップ好きで、だから初期の頃は自分が歌いたい=符割りの詰まった曲が多かったんだけど。最近は子供にも大人にも届く大きなメロディ、なるべく削ぎ落とした言葉を歌っていきたいって」
さかい「あんなに広い会場でやるとライヴハウスとは桁違いの、みんなでひとつになるエクスタシーが味わえるでしょ? もっともっともっと!って思うんだろうね。ならここのサウンドはシンプルなほうがいいし、メロディも、歌詞もって考えて、曲を作って、さらに会場が大きくなっていくという。それはホントにものすごく大事だと思う」
TASSHI「でもゆうくんはどこかで考えてるでしょ? "ちゃんとクリエイティビティとビジネスを両立していきます"っていうインタビュー、前に読んだよ」
さかい「それはこう、例えば、延々と即興をやってるキース・ジャレットは、降りてきたままをバーッと全部出してるから、誰のことも考えてない。自分で"このメロディいいな"と思って弾いてもないのよ、たぶん。だから誰かに届けようなんて考えて、AメロもBメロもサビもいい、ブリッジきて、ここで落ちサビだよねーなんて計算してる時点で、自分は芸術家とは言えないなぁと思ってて」
TASSHI「バッハだって絶対計算して作ってるし、でも芸術家なわけだから」
さかい「だから余計に芸術家という定義は難しいし、自分をアーティストとは言えない。恥ずかしくなる。それでビジネスとかいう言葉を使っちゃうんですよ、開き直って」
TASSHI「あぁ、なんかわかる。ただね、僕はロック少年で、バンド寄りな音楽をずっと好んできたので、さかいゆうのバックボーンにある黒い音楽はあまり聴いてきてなくて。けどライヴを観て、アルバムを聴くことによって、自分もイチから通りたいなという気持ちになったし。ドラマーとして幅を広げるためにも、自分のプレイスタイルにぶっ込んでいきたい、みたいな想いはあるんですよ」
さかい「おおっ。それはいいかも。歌心を持ちつつ、バックビートもほしいっすよね」
TASSHI「Aqua Timezは意外とロック野郎の集まりだから、そういうアレンジでやってきたんだけど。ここ2〜3年の変化を踏まえて太志の曲をひも解くと、バックボーンにはやはりヒップホップがあるし」
さかい「ヒップホップはジャズとかファンクの子供っすからね、ビートに関しては」
TASSHI「でしょ? だから太志の曲を活かすドラマーとしては、ロック一辺倒じゃなくそういう黒いビートも出していきたいし、そのほうがバンドにとってもいいなって」
さかい「Aqua Timez愛に満ちてるね〜。あれ、結成は何年でしたっけ?」
TASSHI「2003年結成で、2005年にインディーズデビュー。ただその時、まだ僕はいないんですよ。Aqua Timezって最初のインディーズ盤が爆発的に売れちゃって、それを休職中だった俺はテレビで観てて、そしたらある日、サークルの先輩だったOKPから電話が掛かってきて、"ドラム叩いてくんない?"って。2006年に加入して、その年の紅白に出させてもらったから、当時の触れ込みは"ニートから最短で紅白に"という」
さかい「わぁぁ。俺とは逆の人生を歩んでますね。音楽人生で言うともう、雑草食ってるみたいなもんだから、10年間くらい」
TASSHI「あんなに素敵な方々と一緒に素敵な音楽を響かせてるのに?!」
さかい「あやうく整体師になるところだったんだもん、29歳の時に」
さかい「俺、デビュー5年だからね。というか、最初から爆発的だなんて羨ましい」
TASSHI「それはそれで苦悩というか。周りがどんだけ盛り上がろうが、自分たちが一番わかってるわけだから、自分たちの実力を。ライヴもまだまだだし、実際、最初のゼップは全然埋められなかったし。でまぁ5周年でベストを出してようやく振り返れたんだよね。バンドの基礎体力つけないと先はないぞ、みたいな話し合いを何回もしたし」
さかい「10周年で仲良くライヴができて、しかももう売れてんのに、さらなる高みを目指せるのはいいよね。お客さんはいい曲を出してくれれば十分だと思ってるんだろうけど。誰も言ってくれないなら自分らで伸びるしかないもん」
TASSHI「バンドとしての伸びしろがあるうちはどこまででもっていうのは、ミュージシャンの素直な欲求としてあるからね」